奈良県の障害児学級の歴史 1

はじめに

 「歌わぬ児よ、許してくれ。かうした感傷的な気持ちに誘うものは、職員室の軒下に 迫ってくる日も夕暮れの静寂さである。」1)       

西久保奈良石著「劣等児教 育の実際研究」序文より。

 1993年度京都教育大学の特別専攻科に奈良県から内地留学する機会を得た。奈良県の 代表として1年間研修するからには奈良県の障害児教育のために役立つものはないかと 考えた。その結果、私自身が中学校の障害児学級の担任を17年間取り組んできた経験 から、奈良県の障害児学級の歴史についてまとまった研究がみあたらず誰かがやらなけ ればならないと思い調査研究に取り組むことにした。  奈良県における障害児学級の歴 史探究をテーマとして調査活動をはじめたもののそれぞれの年度毎に個々の障害児学級 の実践記録や報告が教育委員会の機関誌や研究会の紀要等に発表されてはいるが、それ を障害児学級の歴史としてまとめたものがほとんどない。障害児教育の歴史の中で障害 児学級が果たしてきた役割は大きく養護学校よりも歴史が長いにもかかわらず、障害児 学級の歴史について書かれた分量はわずかしかないのが現状である。それは、ほとんど 個人として各学校に分散しており、各担任にその実践がまかされ、かえりみられていな かったからだといえる。ただ唯一、障害児教育百年奈良県記念誌の中に、奈良県の障害 児教育研究会による奈良県の障害児学級の歴史の記述をみいだすことができる。本研究 論文は主にこの資料を基礎文献として菅田洋一郎教授の指導の下に研究したものであ る。

<注と引用文献> 1)西久保奈良石は大正13年から昭和7年まで桜井尋常高等小学 校の訓導として戦前の奈良県における劣等児教育の先駆者の一人、(昭和3年):劣等 児教育の実際研究,教育書館,自序,4頁。

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