モンテ微塾故中村佐喜雄先生追悼文集


燃える若き日の中村先生

   平成10年12月10日

                  大西聖一

1. 出会い

     君、こんなに遅く学校でクラブでもして来たんか、何時もこんな時間に帰るんか、何のクラブや、1年やったら今年この斑鳩小学校を出たんか。家はどこや近くか、親は何をしてるんや、兄弟多いんか、次男やったら気楽にいけるんやないか。先生は、ここの小学校に来た中村やけど音楽やってんねん、友達になろう、まあ教室に入れや、この間まで三郷小学校にいたや、三郷では鼓笛隊を作ったんやけど、ここの学校ないから作ろうと思っっているんや。君は音楽好きか、何か出来る楽器があるんか、嫌なら聞くだけでも情操教育にいいよ。将来何かしたいと言う希望を持っているんか。先生はな、将来子供の教育、中でも福祉や障害児教育に力を尽くしたいと思っているんや、そしたら退職した曉には、福祉国家と言われるスェーデンに永住し、姉さんらと一緒に暮らしたいと考えているんや、君も一緒に行こうよ。

2. 下宿

     冬の単車通勤は、寒いしエンジンの掛りも悪くなる。しかし、乗用車に比べて小回り利くしガソリン代も安い。斑鳩にいい下宿があれば近くで便利がいいんやけど、まあ贅沢は言われん。下宿は6畳1間で狭いけど、ちゃんと新聞も入るし家賃も安いし単車も置ける。下宿の叔母ちゃんも叔父さんも人がいいからよく野菜や米を貰うんや、その代わり時々子供の勉強を見てるんや。君とこ鶏飼ってると言ってたが、子供の理科の実験に必要なんだが若鳥一匹欲しいって親に言ってくれよ、親がいいと言うなら来週持って来てくれるか。あの鶏ええ実験材料やった、子供が興味深く真剣に見ていた。実験材料はちゃんと内蔵と肉に別けて料理し今日は下宿で鍋物でもしょう。野菜持って来てくれたんか、お母さんよく気がつくな、よろしく言っといてや、今日は材料が揃っているから王寺に寄らず学校から下宿に直行やな、長年鍛えた料理の腕前を見せてやろう、きっと美味しいぞ。

3. 音楽

    言ってた鼓笛隊のこと、PTAも了解し来春作ることになったので、教材や選考準備に追われているが、発隊式までには2〜3曲演奏できるよう頑張るわ。先生自身もどんな楽器でも使え教えられるようこれから毎日勉強や、そのため早速ギターを買ったんや。ピアノやギターにはそれぞれの音色があるが、音と言うものは、雑音のある昼より深夜静かに聴くのが本当の音だよ、防音装置はないが深夜教室にくれば一番いいよ、そうだな午前〇時前後にくれば本当のピアノやギターの音楽を聴かせたるわ。教室は広いし、人は居無いしどんなに大きな音を出しても迷惑にならないからな、この曲が好きなんや、あら午前3時回ったな、親に言うて来たんか、これで終わりや。

4. 教育

     君も見にきてくれたように努力の甲斐があって鼓笛隊の運営も軌道に乗りかなりの評価も得て来たので次の先生に引き継ごうと思っているんや、顧問と言う形で何時までも面倒は見るつもりでいる。その代わりと言うたら変だけれど、先生は独身で自由も利くし又、育ってた環境やその思いとともに情熱を一心に傾けこれまで同様努力を注げば必ず成ると思っているんや。これから講習や研修に勤め資格を取らなければならない可能性に挑戦するんや。

5. 追悼

 先生との出会いは、近道の校庭を横切る一瞬の帰宅途中でした。初めて合ったのに親しさを感じる、「オーイ・中村君」と呼んでくれとか、家庭の事を聴いたり、子供の私に自身の将来のことについて話すなどこの人本当に先生かなと思った。時の経過と共に先生の手助けや音楽を聴きに教室へ、又、進学や就職の相談で下宿に行き来して人生感などについて色々と教示を受けたが、石橋を叩いて渡ると言う諺があるように、何事も即断せず熟慮しつつ堅実で親身な指導を頂き感謝しています。教育とは、誰も天才ではないが自ら努力し子供の可能性を見付け出し、それを伸ばしてやることであるとの言葉は、真に聖職に捧げた中村先生の偽らざる信条で挑戦でもあったと今の私の心深く生き続けている。私の良き人生の指導者であった恩師中村佐喜雄先生のご冥福をお祈り申し上げます。


 
上嶋先生へ

先日は、一年祭への出席、遠い所、ご苦労様でした。遅れましたが、先生との出会いなど思い出を思うがままに書きましたのでここに送付します。写真は、私(右端)が斑鳩中学校二年生(昭和三十四年)の時、下宿先を訪問し、近所の子供と三郷小学校校庭で撮ったものです。尚、最近ワープロを使い慣れないまま印刷したもので申し分けありませんがよろしくお願い申しあげます。        大西


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