奈良女子高等師範附属小学校の特別学級(斎藤千栄治)の資料

1911年〜1926年

この資料は1993年度京都教育大学特別専攻科に内地留学した時、菅田洋一郎教授より
提供していただいた浅尾絋也氏の昭和41年度の卒業論文の資料集より転載しました。
障害児教育の歴史研究の参考になればと思います。


昭和41年度 卒業論文

精薄児教育に於ける分団教育の歴史的考察 
  −大正新教育運動との接点に於いて−

      資料集 

                   京都教育大学 特殊教育学科 浅尾絋也

もくじ
 資料氈@「奈良女子高等師範学校一覧」より
 資料 奈良女子高等師範附属小学校「職員会記録」より
 資料。 奈良女子大学文学部附属小学校編「わが校五十年の教育」より
 資料「 斎藤千栄治「精神薄弱の特別取扱」
 資料」 斎藤千栄治 小冊子「精薄児」より
 資料、 斎藤千栄治「手記」
 資料に関する考察



 資料氈@
「奈良女子高等師範学校一覧」より

@大正元年度分冊 「沿革」より
  四月一日新二普通学級数一ヲ増加シ、又別ニ特別学級一ヲ設ク 日児童百四十七人ニ
  入学ヲ許ス、七月三十日大正ト改元アリ
A年度毎の各分冊(併合されたものも含む)の附小職員名簿より
 ウ)(大正元年) 特別学級   斎藤千栄治 (福井平民)
 エ)(大正二、三年度) 特別学級  清水廉三郎
 オ)(大正四、五年度) 特別学級 九月二七  柿元加津
 カ)(大正六年度) 特別学級 九月二七  柿元加津
 キ)(大正七、八年度) 特別学級 九月    柿元加津
 ク)(大正九年度) 特別学級(尋常第三学年)  柿元加津
 ケ)(大正十年度) 特別学級(尋常第一学年)  池田小菊
 コ)(大正十一年度) 特別学級(尋常第一、二学年)  池田小菊
 サ)(大正十二年度) 特別学級(尋常第二、三学年)   池田小菊
  特別学級(尋常第二、三学年)事務 田村富蔵
 シ)(大正十三年度) 特別学級(尋常第三、四学年)   池田小菊
  特別学級(尋常第三、四学年)事務 田村富蔵
ス)(大正十四年度) 特別学級(尋常第四学年)   池田小菊
  特別学級(尋常第四学年)  事務 田村富蔵
B備考
  大正十四年度以降の各分冊には、『特別学級」担任の職員名は見られない。


資料 
 奈良女子高等師範附属小学校「職員会記録」より

<明治四十四年度>
@七月二十六日(水)
一、主事ノ訓示事項左ノ如シ
2、教授及訓育ニツキテ
・・・・劣等児ノ取扱ニツキテハ過去学期間ハ主トシ学級ノ平均ノ程度ヲ高ムルコトヲツトメタルモニ学期以後ハ漸次ニ此問題ニツキテモ顧慮スル所アラントス劣等生ノミナラズ低能児童、優等児童ノ為メニモ各其天賦ニ応ジタル処置ヲトランコトヲ要ス。身体ノ薄弱ヨリ来ル学業不進歩ノ児童ニツキテハ特ニ注意研究セラレンコトヲ望ム。一方ニ於テハ体育ヲ奨励シテ健康ノ増進ヲ計リ、一方ニ於テハ疲労ノ原因ヲ除去シテ教授其他ニ於テ酌量シテ取扱フ用意アルベシ。近時学校教育ガ思想ヲ重ンジ思想家養成ニ傾ケリトノ非難アリ此ニ対シテ学校ハ工場ナリ労働場ナリトノ意味ニ於テ教育セザル可ラズト喝フルモノアリ。本校ハ土地ノ状況ヨリ考ワルモ大ニ此批難ニ鑑シルベキ必要ヲ感ズ。故ニコレハ教授方針ノ一ケ条ニ数ヘテ教授訓練ノ上ニ日常考慮セラレンコトヲ望ム。

A九月四日(月)
 一、校報第十五号ニツキテ
  4、ハ技能教科教授方面ヨリ学力劣等児ナル児童ヲ救済スル方法 
B十二月十九日(火)
 2、静岡県東京市諸学校参観ノ報告、其要点次ノ如シ
  ロ、東京高師附小   第三部ノ特別学級ノ状況ニツキ
  ハ、女高師附小  劣等児童ヲ以テ編成セル学校ヲ参観シメルコト
  ホ、東京市万年町小学校ノ状況ニツキテ
C二月二日(金)
 一、主事ノ指示事項次ノ如シ
 3、来学年ニハ特別学級ヲ編成スルヤモシレズ、次ニ通リ特別学級ニ関スル調査ヲ命ズ
  清水訓導、大森訓導、斎藤訓導、森訓導、清水訓導
 6、特ニ貧困児童ニ昼食ヲ給スルコトノ可否ニツキ意見ヲ承リタシ此問題ヲ決定スル前  予メ各学級ニ於テ此ニ該当スル児童ノ有無、氏名ニツキ調査セラレタシ。

<明治四十五(大正元)年度>
D四月七日(日)
一、雑件ニツキ指示
 特別学級ニ収容スベキ児童ノ調査報告ハ本週中ニ提出セラレタシ。特別学級主任ハコノ報告ニ基キ人選ヲナシ必要ナル人員ヲ収容スル筈ナリ。尚ホ調査ノ方法ニツキテハ主任斎藤訓導ヨリ説明スベシ。
一、斎藤訓導ヨリ別ニ配布セル調査要項ニツキ説明アリ(記載例ハ校報トシテ配布セラルル以テ略ス)


<大正二年度>
E四月七日(月)
一、主事ノ訓示ハ次ノ如シ
3、児童ノ学業成績
 優良ナル児童ハ益シ発達セシムベキモ劣等児ヲナイガシロニセザルコトニ注意スヘシ成績ノ漸次向上スルハ悦フ所ナリ。
<大正五年度>
F四月十日(月)
二、主事ヨリノ指示事項
(二)細説(1)教授上(b)特別学級ニツキテ
 旧応接室ヲ該学級ニ利用セルトス特別学級専任者ハ手続未了ノタメ任用ヲ見ルニ至ラザルヲ以テ当分各学級ニ於テ其心シテ一般児童ト同様親切同情ノ念ヲ以テ取扱フベシ。
受持ヲシテ成ベク 心特別学級ニ 事セント力ヲ注グコトナカラム様ニシタシ。
 <大正七年度>
G四月八日(月)
一、主事指示事項
教授上
6、特別学級ハ多少本年度ヨリ組織ヲ変更シタルガ兎モ角優等児童ニ最モ同情アル教授ヲ為サレタシ。最モ低能ニシテ手ニオエナイ者ハ学年観念ニ拘泥セズソノ児童ノ能力ノ進度ニ準ジテ教授ヲ進メラレタシ。兎モ角普通ト認メラレル児童ニハ浅ク一般ニソノ学年ノ課程ヲ了メラレタシ。
H三月三十日
三、主事指示事項
2、問題トシテ提供シタキモノ
(一)特別学級存否ノ問題 
尋四以下ハ従前ノ通リ存置。尋五以上ハソノ受持訓導ニ於テ救済スルヲ主体トシ並行学級ハ交互相補助スルモ差支ナシ。
<大正八年度>
I四月十八日(金)
三、主事指示及協議事項
13、劣等児童救済状況ニツキテ
J九月一日(月)
三、主事指示事項
10、特別学級ニ従前ハ教生ノ配当ナキモ何トカ工夫シテ児童一人一教生ノ制度ニテ救済ノ工夫ヲナセタキモノナリ。
<大正十一年度>
K四月八日(土)
一、事項
16、特別学級ハ尋一、二ノ複式トシタ。教育上得策ト見タ故。
<大正十三年度>
L六月十三日(金)
一、事項
 本庄教授講話
メンタルテスト知能検査を主とする。
入学後、生徒分類、能率検査、将来の予測等のため。
成績と知能の関係(表略)
教育測定
知能年令/暦年令=知能商(指数)(I.Q)
教育年令/暦年令=教育指数   (E.Q)
E.Q/I.Q=A.Q   Achivement Quotieur


資料。
奈良女子大学文学部編「わが校五十年の教育」より

@「わが校五十年の歩み」より抜粋
ウ)わが奈良女子高等師範学校が、当時の女子教育における最高学府として、この地に創設されたのは、明治四十二年(一九〇九)五月一日で、わたしたちの学校はそれより遅れること二年、すなわち明治四十四年五月一日、実習、実験のための附属校として開校式を挙げた。(p.20,L5〜L.7)
エ)開校の事情をみると、四月一日、教授真田憲が附属小学校主事に、また全国各地から選ばれた教師十八名が訓導に任命された。(P.20.L.8〜L.9)
オ)児童五三六名が一定の学区から集められ、元奈良第三尋常小学校朝日分教場の校舎を仮用して授業を開始した。(P.20.L.9〜L.10)
カ)一定の学区を定めていたために、児童の学力の差がいちじるしく、また経済的にも恵まれない家庭も相当あったこが記録されているが、大きな希望をいだいてこの地に着任した訓導の理想と現実との距離は、かなり大きかったようであった。(P.20.L.14〜P.21.L.1)
キ)真田主事は、この状態に応じて、分団式教授を主張し、その実際化を指導した。(P.21.L2)
ク)当時は、兵庫県明石師範附属小学校の及川平治氏主昌するところの動的分団式教育もすでに有名で、一般にこの教授法が広まりつつあった。わが校の場合は、学業不振の児童を救うということにも大きな着眼があったのではあろうが、しかしまたそれが、他日自発的学習へ開花する素地として築かれていったものと思われる。(P.21.L.7〜L.9)
ケ)大正八年、真田主事がアメリカに留学され、その後任として、京都府女子師範学校長木下竹次が着任した。(P.21.L.10)
コ)学区制は廃止されて選抜制となり、校内の物理的環境は大いに整い、子どもたちは、整理された境内で教師の指導を受けつつ、伸び伸びと自発的学習をしたのであった。(P.22.L.15〜L.16)
サ)「奈良の学習法」と呼ばれ、確固とした地歩を占めつつ、成果を挙げていった。全国各地からの参観者は校舎にあふれ、この学習法を実施する学校は、全国に少なくとも一二〇余を数えたといわれている。(P.23.L.4〜L.6)
シ)国民学校が実施されようとする昭和十五年末、木下主事は退官。(P.23.L.9)

A「略史」”学校の動き”欄よりの抜粋(◯印はその年間の著しい傾向や補説記事を示している。)
(明治44年)
ウ)文部大臣の許可を得て、附属小学校規則を定めた。(三、二九)
エ)勅令第七十三号をもって、本校職員定員中に訓導十八名を加え、教授真田幸憲を主事に命じ、児童教育要旨を定め、開校の準備に当たった。(四、一)
オ)校舎新築工事中、元奈良市立第三尋常小学校朝日分教場の校舎を仮用し、入学式、保護者会を行った。(四、九)
カ)同校舎で尋常科第五学年以下を二部教授として課業を開始した。(四、一二)
キ)本校の開校記念日五月一日をもって、附属小学校開校記念日と定め、開校式を行った。(五、一)
ク)新校舎の工事がおおむね終り、現在の校舎へ移転、二部教授を廃した。(七、二一)
ケ)夏期休暇中に補習教授をおよそ十日間行って、学力を高めるよう努力し、以後数年間継続。(八月)
コ)◯学年、学期の初めには、主事が教官に教育上の指示を行なうことが例となって続けられた。
(明治45〜大正元年)
サ)分団式教授を実施し、学力の劣る児童を集めて特別学級の授業を開始した。(五、六)
シ)京都帝大笠原医学士を招き、学校劣等児四十名の診断を受けた。(六、二三)
ス)◯つねに学力劣等児の救済を問題とし、児童の学力に応じて教育を適切にすることを旨とした。これがため、各学級おおむね分団教授を施し、とくに劣等な尋常科第三学年ないし第六学年の児童は、特別学級を編成して指導に当たった。また訓育においては、「用意スル」「出来ル」「恥シクナイ」の指導目標が立てられた。
(大正2年)
セ)分団教授の改善を主事が指示し、学力劣等児の救済に努力を加えた。(四月)
ソ)京都帝大講師によって、学業不振児童を検査した。(九月)
タ)◯訓育に関しては、一進一退、進歩した跡を認めなかったことが学事年報に見えている。
(大正3年)
(大正4年)
(大正5年)
チ)◯分団教授は、教育界にも注目されているので、本年度はいっそうの研究を高めるよう主事が指示した。
(大正6年)
シク)分団教授については、本年度は算術科を主とし、これに国語科その他を加えて研究することになった。(四月)
シケ)分団教授の校内研究がさかんになり、原案の説明や個人の研究発表も行われた。(十一月)
(大正7年)
シコ)◯真田主事が「分団教授原義」を刊行。(三月)
(大正8年)
シサ)真田主事が欧米留学を命じられ、教授木下竹次が当校主事に補せられた。(三、十)
シシ)木下主事は、・・・・(中略)・・・・・次のような問題が指示あるいは協議された。特別学級の存否(中略)
(大正9年)
シシウ)◯発動的創造的学習を進め、自己規定、自主的訓練を奨励した。また体育を毎日課し、児童自身の工夫した運動をさかんにした。
(大正10年)
シシエ)児童雑誌「伸びていく」を目黒書店(東京)から発刊した。(三、一〇)
シシオ)学区を廃止し、児童を自由に募集することになった。(四月)
(大正11年)
シシカ)機関誌『学習研究」を創刊、目黒書店(東京)から発行した。(四月)
(大正12年)
シシキ)木下主事が「学習原論」を刊行した。(三月)
(大正13年)
(大正14年)
(大正5年〜昭和元年)
シシク)木下主事が「学習各論(上)」を刊行した。(三月)

<以下略>

シシケ)参考文献
   学校日誌、教官会議事録、研究会記録、学習研究会記録
   (以下略)

B「在職教官一覧」より
◯特別学級担任の就任およびり離任年次[( )内は在職年数]
ウ)斎藤千栄治(2.7) (就任)明治44年(離任)大正3年
エ)清水廉三郎(不明)  (就任)明治44年(離任)不明
オ)柿元加津 (4.9) (就任)大正5年 (離任)大正9年
カ)池田小菊 (7.1) (就任)大正10年(離任)昭和3年
キ)田村富蔵 (4.10)(就任)大正9年 (離任)大正14年
◯主事校長の就任および離任年次
ク)真田幸憲 (8.0) (就任)明治44年(離任)大正8年
ケ)木下竹次 (21.10)(就任)大正8年(離任)昭和15年


資料「
斎藤千栄治「精神薄弱の特別取扱」
(奈良女子高等師範学校在職中の手記)

<目次>
第四章 劣等児低能児特別取扱の必要
 一、我が国の劣等児低能児の数
 二、劣等児低能児は如何に取扱はれつつあるか
 三、人道上彼等を救済する必要
 四、社会政策上彼等を救済する必要
第六章 劣等児低能児教育の実際
 一、特別学級設置の目的
 二、学級編成
 三、教科目の選定
 四、原学級との関係
 五、劣等児低能児の調査
第七章 取扱方法
 一、一般的
 (一)成績不良の原因に同情し常に熱意ある温情を以て接すること
 (二)個人指導を本体として分団的に取扱うこと
 (三)教材の範囲を狭くし徹底せる知能を授くること
 (四)反復練習の必要
 (五)学習の奨励法
 (六)精神の集中
 二、国語(読方)科の教授
 (一)教材
 (二)取扱方法
 三、算術科
 (一)教材
 (二)取扱法

第四章 劣等児低能児特別取扱の必要
一、我が国の劣等児の数

 欧米諸国文明国の統計を見るに、年令児童二百人に対して、低能児の数は三人であるとしている。我が国では、未だ低能児に関し、確かな統計のあることを聞かない。併しながら欧米諸国の如く、果たして二百人に対して三人に止まるか否かは頗る疑問である。今例を我が校にとって見るならば、尋常小学校現在の児童総数約六百人であって、これに対する低能児の数はあ実に三十五人の多数を示して居る。外国統計の四倍即ち、学令児童百人に対して約六人、二百人に対して十二人に当たる割合である。若し此数を基として推算するとき、我が国学令児童の総数約八百四十五万人(明治四十四年の統計であって台湾朝鮮を除く)なるが故五十万余の低能児在るべき筈である。或る者は我が校現在の低能児の多数であるのに驚き、其数に疑を懷くかもしらんが、此三十五人というかのは、正確であって先ず誤りがないと断言してよいのである。何となれば低能児に関して豊富な知識をもって居る医師の病理的診察と実験心理学を基礎とした信憑すべき知能検査法に據った検査の結果と、是等の児童を担任する学級担任教師の平素の観察とが一致したものであるからである。其原因の主なものは、先天的の遺伝と、風紀に関する病的遺伝の結果と、住居及食物の劣悪等から来たものと思はれる。故に我が校の統計を以て直ちに全国小学校に当てはむることは、必ずしも当を得たものと言うことが出来ない。故に今仮に全国小学校の低能児の平均数を学令児童百人に対して三人、即ち我が校の割合の半数と見做して概算するときは、二十五万余の低能児があるものと推定することが出来る。蓋し全国の学令児童を厳密に検査したならば、必ず此数に近い結果を得るだろうと思う。併しながら、是等は唯一校を基準として推定した概算に過ぎないからすみやかに信ずることが出来ないというものがあるならば、更に一歩を譲り、全然欧米諸国の統計に拠るものとしても、尚お十三万の低能児が存在する筈である。我が国に正確の統計が現われる迄暫く此数字に拠ることとして置こう。劣等児と称されるものは、各見る人によって其見解を異にして居るから一概にいうことは出来ないけれども、自分の解釈によれば、総じての精神機能を有して居るけれども、普通児比して其程度の薄弱であるもの及特別の事情によって、一時的劣等の状態にあるものを称して劣等児というのである。換言すれば純粋の低能児を除き、普通児を基準として考査した各教科目の成績平均点六点、或は五点以下であって、毎学年末に進級させようか、或は原級に留め置こうかの問題となる児童及一時的成績不良の児童を言うのである。これも亦我校に例をとって見るならば、六百人の児童に対し低能児を除き成績平均点六点以下の者及一時的の劣等児を合わせて約三十人ある。即ち百人に対して五人の割合となる。蓋し此数は全国の小学校を平均しても過大でないと思う。故に此数によって劣等児を推算するときは、我国に約四十二万の劣等児あるべきである。低能児の数を十三万とし、之に劣等児四十二万を加うるときは五十五万となるのである。斯く推算して見ると、其多数なるに驚かざるを得ない。
二、劣等児低能児は如何に取扱われつつあるか
全国五十余万の劣等児低能児は、其中極めて少数の者を除くの外は殆ど全く放任遺棄し顧みられないような状態にあるのである。試に一般小学校に於ける是等児童の取扱を見るに、彼等の多くは教室の一隅或は、成るべく外来参観者の目に触れない所に席を与えられ、出来得るだけ教師の手数のかからぬようにし、教師の眼中殆ど彼等なく、 管彼等によって教授の進歩を妨げられないことを希うのである。殊に所謂囚われた教授法によって教授を為すもの即ち児童のための教授に非ず教師のための教授を為す教授者にとっては是等の児童程厄介なものはなく、若し遇々彼等に発問することがあると、自己の立案した教案に大なる蹉跌を来し、為に型にはめたような所謂形式的教授を破壊されるから、成るべく敬遠主義をとり恰も瞳物的に彼等を取扱うものは甚だ多いようである。教師の彼等の遇すること既にこのようだとすれば、かかる取扱を受けている児童は如何にして学習の欲求起り真面目に勉強するものがあろうか、多くは注意散漫となり教授に対して甚だ不熱心となる。このような状態であるから時々他児童の学習に妨害を為し大喝一声叱陀されることも亦珍しくない。彼等の大多数は精神の薄弱なる者である。教師が十分の注意を払い適切なる方法手段によるもなお及ばないものがあるのに、況やこのような取扱によって彼等を遇するに於てをやである。劣等状は益々増進するばかりである。また教員室に於ける教師の話題に上る児童は多くは是等劣等児或は低能児である。それは彼等に同情し之を救済しようとするのではない。彼等は実の厄介者である。其容姿はこうである。其動作は斯々である。こんな可笑ことがあったと、多くは唯彼等を嘲笑する言を聞くのみである。真に彼等に同情し、精神的に之を救済しようとするものは果てし幾人あろうか。五十余万の劣等児低能児の大多数は実に斯のような取扱を受けつつあるのである。
三、人道上彼等を救済する必要
身には襤褸を纏い道途に彷う貧児、身には何等便るものなき悲惨の境遇にある孤児、或は体の自由を失った不具者を見るときは誰でも同情に堪えないであろう。物質上の貧しい者に対しては既に之を救済する途がたって居り、不具者に対しては別に之を教育する機関が備わって居る。併しながら精神の貧弱者に対しては之に同情するもの少なく、却って之を排斥蔑視する傾向がある。近来低能児という語は広く一般社会に使用されるようになった。新聞に雑誌に或は小説の題目に低能の語を見ることが多い。そして其裏面には、彼等は取るに足らず共に語るに足らざる下等の人間なりという意味を含蓄する。弱者に対して同情し之を保護することは人道であるならば、独り者資上の貧しい者或は不具者に対するばかりではあるまい。精神薄弱者に対しても何等異なる筈がない。弱者という点に於ては共に同じである。更には其原因を探究して見ると両者共に同様の事情に基因するものが多い。即ちこのような悲惨の境遇に陥らせたのは多くは其罪両親にあるか、或は祖先にあるか、或は社会にあるのである。劣等児低能児の原因を詳細に調査すると実に同情に堪えないものが多い。真に人道を解し弱者に同情する世の教育家は奮って之を救済する道を講じ、進んで其実際に当たる意気がなくてはならんと思う。
四.社会政策上彼等を救済する必要
愛は教育の根本義である。他人が吾人を単に愛するという原因から吾人は何人を愛するようになるのである。両親及教師に対する児童の愛は此事実から説明することが出来る。児童に感化を与える教師は進んで児童を愛する教師である。自分が教師に愛されて居ないと自覚すると決して其教師から感化を受けないものである。勿論誰しも劣等児よりも優等児を愛好するのは人情の自然である。併しながら之は感情上の問題である。教師は如何なる児童に対しても公平でしかも深切でなければならんのである。是即ち理性上の事であって義務の問題である。児童に感化を与える教師は児童に個人的感情愛を感じさせる教師である。然るに劣等児及低能児をば常に之を可愛がらないばかりでなく、却て之を厄介視したならばどうして教師の感化の及ぶことがあろうか。彼等の多数は先天的に犯罪の傾向を有って居る。彼の低能児中の精神低格と称えられて居るものは性格に異状のあるもの即ち健康精神と病的精神との中間の状態にあるものであって、其障碍は知識の部分よりも感情意志の部分にあって精神機能の発育の不規則、不調和、病的感情の興奮、刺激に対して不自然の反応あるものである。彼の不良少年と称するものは多くは此精神低格者である。又精神薄弱児中の愚鈍と称えられるものは判断の発育著しく劣等であって関係能力、区別能力の薄弱であるがために事物に対する批評、評価をすることは出来ない。故に善悪良否理不理の弁別力が乏しい為に甚だしく誘惑に陥り易い。また訴偽を働き、惨酷の行為を敢乙し、色情の異状を併うものが甚だ多い。次に痴愚と称するものは、理解力の甚だしく薄弱なものであって、其行為が衝動的であるがために実に驚くべき犯罪を為すものがある。彼の社会に害を流す浮浪者、乞食、監獄の囚徒等は多くは是等低能児の成人した低能者である。児童の小学校時代は品性陶冶の最も重要な時期である。此時期に教師の感化が及ばなかったならば、是等社会の危険分子であるところの低能児を如何にして救済することが出来ようか。仮に教師の感化が十分及んだとしても不健全な現今の社会は直ちに之を打破する恐れがあるのである。また仮に彼等の児童は成人して積極的には社会に害毒を流さないものとしても、多くは不生産的の人間となり、生存上の劣敗者として他人に頼り、徒食して一生涯を終る。教育者たるもの考えがここに及んだならば、是等の児童を救済する道を講ぜずには居られまい。独り教育者のみならず、苟も社会の改善に志すものは低能児教育の忽にすることの出来ないことを思はなければならんのである。 
第六章 劣等児低能児教育の実際
一.特別学級設置の目的
 前章迄は主として、劣等児低能児教育に関する理論の大要を述べたり。本章よりは余の実験したる実際的の方面を述べんとす。第四章に於て述べたるが如く、多数の劣等児低能児を有する我校に於ては是等劣等児に対しては其学力を増進し、且つ低能児の救済を図り、一方に於ては児童お能力に応ずる教育法を研究せんがために特別学級を組織し余が之を担任し明治四十五年五月より之を実施せり。
 二.学級編制
(1)児童個人の心身発達に適合する教育法
 従来の学級編制法は通常、児童の年令を基準とし、或年令の者は同一の学級に編入することを原則とし、児童各個人心身の発達の別によりて班を分ち、組を更うるが如き編制法をとらざりしを以て、個性に適合せず、心身の発達に不相応なる教育を施し来たりし謙なきにあらず。我校之に鑑み、尋常第三学年以上の各学級に於ては、国語算術の二科目につきて、比較的学力の近似せるものを分団的に組織し、各々その能力に応じて教育するの方法をとり、従来の教育上の欠陥を補填せんと勤めつつあり。然れども其取扱方法たるや、複雑にして動もすれば其方法の複雑にして且困難なるより、著しく教授力を殺がれ、到底最劣等のもの迄も之を指導誘掖することを得ざることなしとせず。殊に我校児童の如き学力の差等甚だ懸隔し、最劣等の児童多き学校にあっては、是等の児童を分離して特別に之を取扱い、一方には各学級に於ける教授力を増進し、他方には是等憫むべき児童に対して、能力相当の教育を施すの必要上より次の如き編制法を実施せり。
(2)学年及教科目
 尋常第三学年より同第六学年に至る児童にして国語科(読方)算術科の成績不良なるもの及同学年の低能児を収容す。尋常第一二学年に於ては、その能力中以下のものにありては成績不定にして劣等と見做したるものも俄に良好の成績となり、或は中等の地位にありしものも特別取扱を要するが如き状態に至ること稀なりとせず。葢し幼年児童に於ては一時的事情により其精神を左右せらるること多きが故に単に教師の見込みによりて児童固有の能力を判定すること困難なるのみならず、強て之を区別せば却て児童の将来を誤ること少しとせず。我校に於ては此点を顧慮し、各学級に於ける分団的取扱も尋常第三学年より之を実施することとせり。従って特別学級に於ても又尋常第三学年以上の児童を収容せり。尚特別学級に収容すべき児童は読方算術共通の成績不良児たることを条件とせり。これ各学級に於て劣等児として取扱上最も困難を感ずるは、総て両教科目の成績t共通に不良なるものが故に、先づ特に此二教科目の成績共通に不良なる児童を収容し以て各学級の負担を軽減するを可なりとせるが故なり。
(三)人員及組分
 特別学級設置の第一学年度に於ては、尋常第三学年以上第六学年に至る八学級より選定せる候補者二十五名中成績考査の結果、三名は所属学級に於て指導するを適当と認め、其残二十二名を収容することとせり。而して是等児童を其各組中学力の程度によりて分団を作り算術にありては全然学年に拘泥せず各自の学力程度により最も相近似せるものを一団とし収容当初に於ては甲組(第三四学年)を三分団、乙組(第五六学年)を三分団に分ち、読方にありては其学年に該当する教科書によりて教授するを本体とし特別の児童に対しては其学力程度に適応する教科書により甲組は之を三分団、乙組は二分団に分ちて教授することとせり。第二学期に至りては其進度の差漸次著しくなり、為に算術科の甲組を五分団、乙組を四分団とし、読方の甲組は第一学期と変化なく、乙組は三分団に分てり。此の如く児童本来の能力によりて学習の結果に、漸次差等を生ずるは自然の経路にして特に算術の如きは殆ど個人個人に程度を異にするに至れり。然るに此如き差等に応じ全く個別的教授を行うことは、人員の関係上困難なるが故に止むなく多少の犠牲っを払い、出来得るだけ分団の数を増加せざる方針をとれり。又読本にありても読書力の差漸次に顕著となりしも前に述べたるが如く、学年相当の読本によるを本体とせるが故に分団の数を増加せざることとし、両教科目共第二学期に定めたる分団によりて学年末迄之を従続せり。今両組各分団の人数及各教科目教授の出発点を左に示さん。第一号表(小学校三号五七頁)
(四)教室及教師
 教室は約三十名を容るるに足る一室を設け主任教師一名(他学級主任なり)にて担任することとせり。而して補助教師は乙組の算術を教授し他は主任教師之を教授せり。
三、教科目の選定
(一)読方及算術を選定したる理由
 小学校に於て授くる教科目は何れも必要なるは云う迄もなけれど、特に斯種児童の現在及将来に於ける日常生活上、直接に最も必要なるは日常の計算及文章を読み、且つ簡単なる文章を綴ることなるべし。故に算術及読方を特別に教授し、彼等憫むべき児童に対し、六ケ年間の義務教育を終る迄に、仮令其程度は低くとも、確実なる知識を授け、之を実際生活に活用し得る働を与えんとするにあり。
(二)他教科目学習上の欠点
 各教科目全部を特別に教授するは最も有効なるべく、之が為に適当なる組織なかるべからずと雖ども、教授時間数教師の負担及所属学級との関係上万止むを得ずして原今の組織をとれり。然るにここに実施の結果、最も遺憾なるを認め小学校は、綴方を所属学級に於て教授したること之なり。所属学級に於ける綴方の教授は特別学級収容児童の力に応じ、特別の取扱をなすこと困難なりしがために、多くは普通の児童と同様に取扱い、或は読本を視写せしむることなどに止りしを以て、其効果甚だ少かりしなるべし。特別学級に於て綴方を教授すること能わざりしは、教師の手の足らざるに基因せるが故止むを得ずとするも国語科の取扱としては大なる欠陥ありしものと認めざるべからず。書方に於ても、所謂国語の一分科として考うれば、所属学級に於て之を浮授くるに当り、特別学級に於る読本の程度に合わざる手本を用うるは、不適当なるを免れざれども、又技能としてみれば、児童は多く学年相当の程度に達し居るを以て、敢て甚しき不都合を認めざるなり。
四、原学級との関係
(一)教授時間
 所属学級と特別学級とは、読方及算術教授の時間割を一致せしめ、特別学級に於ては常に各組とも同時同教科目を課することとせり。此の如き時間割は、特別学級に於て何等不都合なかりしと雖ども、全体の時間割には不都合の点を生ずるに至れり。即ち我校尋常科に於ける同一学年は之を男女別二学級に編制したるを以て、特別学級との関係上、四個学級の算術科或は読方を同時に配当せざるべからざることとなり、分科受持担任時間配当の問題之と交錯し、全般の時間割調整上に困難を生じ時間割の原理に適合せしむること能わざりし点多々ありしが如し。
(二)原学級復帰制
 児童の学業成績進歩して、原学級に復するを適当と認めたるときは之を原学級に復し、更に成績劣等なる児童あるときは、当学級に編入せんことを予期せり。然るに二ケ年間の実験により、此制度の不適当なるを知ることを得たり。現在収容せる如き精神薄弱なる児童は、如何に特別の指導をなすとも、原学級と同等の成績を得しむること殆ど不可能の事なりとす。何となれば算術に於ては既に原学級より著しく低き程度より始めたるものを原学級と同時間数教授して学年相当の程度迄進めんことは、普通の能力あるものといえども少からざる困難を感ずべし。況や精神の薄弱なる劣等児及低能児に於てをや。又読本に於ても若し学年相当の本を読ましめ相当に得み得る程度のものならば特別学級に収容する必要もなかるべし。しかるに実際之を収容する所以のものは、著しく其力の足らざるにあれば、之を原学級と同時間数教授して同等の進度に達せしめんんことは、仮令その学習上要求の範囲を異にするとも甚だ困難なる業なればなり。但し従来の教育の著しき欠陥により来れるもの、或は普通の能あるも欠席のため一時的劣等なるに至りしものに対しては、特別の教授によりて学年相当の進度に達せしむることを得る場合あれど、普通一般の劣等児に対しては、殆ど適用すべからざるものと認めざるべからず。当学級に於て一ケ年教授したる結果、尋常第三学年に於ける読方の成績比較的良好なるもの四名を選び原学級に復したれど、其中一名の外は普通の児童と同等に進むこと能わず再び劣等状態となれり。故に特別の事情によれる一時的劣等児を除き其他にありては、児童の能力に順応する系統を追って進ましむるを適当なりと信ずる。尚お原学級に復帰せしむるを目的せば劣等児に対し学年相当の読本を持たしめ或は学年相当の算術書によらんとするの結果全く学力に適合せざる教材を授くるの無理をも生じ、徒に児童を困しましめ、教師も甚だしき困難を感じ共に多大の労力を費すこととなるべきを以て、特別の場合の外は復帰制をとらざるを可とす。
(三)学級担任負担の軽減より来る一般児童の利益
 劣等児を如何にして救済すべきかは現今教育上の重要問題なり。従って普通一般の学級に於ても之を救済せんと努力しつつあるは誠に然るべきことなりと言うべし。されど成績の不良なる児童は概して理解力弱く、又一般に反応遅きが故に、纒りたる知識技能を収得せしむるには普通の児童よりも多大の時間と労力とを要すべきものなり。故に普通学級の合級教授に於て、そ是等劣等児童を救済せんとせば、之が為に要する時間と労力徒は蓋し尠少ならざるものあり。其影響として他の児童の損失甚大なるものありとす。されば普通の学級より劣等児童を除き、教師は其教授力をその他の児童に注がば、該学級全体の利益となるに至るは多言を要せずして明なりとす。
五、劣等児低能児の調査
(一)一般的調査
 特別学級設置第一学年度に於て各学級より選出せる二十五名につき左の各項を調査し各個人の異状原因を探究せんとしたり。
 調査要件 甲 児童の方面 学年 姓名 生年月日
(イ)身体上 体質。栄養。睡眠。疾病(過去及現在)。感覚器官。発声器官及発音。顔貌。頭蓋の形状。運動。
(ロ)精神上 注意状態。記憶。想像。思考。観念連合。直感型式。感情。意志。気質。習慣。挙動。操行。
(ハ)各教科目の成績(各教科目の学力程度を具体的に示す)
 修身。読方。綴方。書方。算術。地理。日本歴史。理科。図画。手工。体操。唱歌。裁縫。
(ニ)家庭及周囲の情況
 住所。職業。生計の度。父母の有無。父母(血族結婚の有無。飲酒の度。出産時の父母の年令。体質及疾病。教育の程度及教育思想)祖父母(父母に準じて記載す)兄弟(有無及其状態)同居人(有無及其状態)児童の家業補助及復習状態。児童の家庭に於ける勤惰。周囲及社会状態。
第二教室収容児童の調査記入例
 尋常第三学年 某(痴愚) 明治 年 月 日生
甲 児童の方面
(イ)身体上 
体質 薄弱
栄養 日に三食共粥を食し副食物は甚だ粗悪なり従って栄養甚だ不良なり
睡眠 睡眠状態不穏なし時々恐ろしい夢に襲われ又歯軋す
疾病 過去 生後間もなく痙攣に罹れり
現在 特に疾病と認むべきものなきも皮膚常に蒼白にして脂肪組織発育不良 なるがために皮膚乾燥し、尿意頻繁なり。是等の徴候は得医療不良の結果な らん。
感覚器官 各器官に気質的異状を認めざるも一般に反応遅鈍なり併しながら学習 に大なる障碍を与うる程にあらず。
発声器官及発声 器官に異状を認めざるも音声嗄嘶し聴くものをして一種不快の 感を起さしむ発音不明にして少しく吃音あり。
顔貌 眉下り目に光沢なく両眼の距離遠し。鼻梁低く、鼻には大にして常に開口し 口呼吸を営む。
頭蓋の形状 偏平顱
運動 反応甚だ遅緩にして挙動不活発なり併し競争的の遊戯には興味を有す。
(ロ)精神上
注意状態 注意集中力乏しく教師の短き説明にも眼は定視せず演算中にも唱歌す ることあり。
記憶 記憶力甚だ弱く数時間を費して教えたる読本中の文句も二三日にして忘れ書 くことを得ず機械的の記憶は少々可なり。
思考 思考作用弱く全く抽象数を思考すること能わず正確に十迄の数の計算出来ず 観念連合 関係連合は少々可なるも其他の連合は甚だ薄弱なり。
直感型式 視覚典型
感情 常に不快の色あり一度も快き笑を見たることなし。
意志 意志弱し、併し自己の学習し得る程度にして興味ある事柄に対しては明瞭な る答弁をなすことあり。
気質 仕事をなしつつ歌を歌い、又貧乏振をなす癖あり。舌を出して鼻汁をなむる 癖もあり。
挙動 動作緩慢なり。
操行 沈黙にして答弁を好まず。怠惰にして無理に刺激せざれば言動せず。ますま す虚言を吐き欠席多く、遅刻して途中に遊び居ることあり、総ての行為に一 定の統一なし。
(ハ)各教科目の成績
修身 説説要領は勿論簡単なる訓辞も記憶し居ること稀なり。
読方 片仮名五十音も完全に書くことを得ず。読本巻一滞なく読むことを得ず。 綴方 読方の力なき故頗る簡易なる語(例へばワタクシ)をも綴ることを得ず。 書方 筆順は勿論点画共に無頓着にして文字の体をなさず。
算術 十迄の加法も方便物を使用せざれば出来ず。
体操 全身の運動意の如くならず其動作一も要領を得ず。唯競争遊戯にのみ興味を 有し此際には稍々奮闘的態度を示す。
唱歌 好んで歌えども口の開閉遅く一般児童調子合わず。
図画 一学年以下の程度のものを画かしむるも全く物体の形をなさず。
手工 図画と同様
備考 各科目成績の不良なる原因は生後の疾病と現在の栄養不良なると家庭は此児 を白痴扱にせると過去の学校教育は此児に対し何等特別の注意を払わざりし によるなからん。
乙、家庭及周囲の情況
住所 不定
職業 製墨職工
生計の度 一日の収入四五十円にて一家四人
父母の存命及死亡 父母共に亡し
祖父母 亡し
兄弟 兄あり現在兄の養護受く嫂は此児を虐待し十分なる食事をもなさしめざるも のの如し。
同居人 兄の子一人(三才)あり学校より帰れば夕方迄此子を守す。
児童の家業補助及復習状態 子守の外何等なすことなし。
児童の家庭に於ける勤惰 簡単なる使などは命のままになす。
周囲の社会状態 周囲は皆長屋住居の貧民窟なり。
交友 友と遊ぶこと殆どなし近隣の子供は白痴なりとて相手にせず。
 要するに子の児童は痴愚にして普通一般の教育法にては殆ど何等の効果をあぐることを能わざるべし。
 調査一覧表(第五号 三〇頁)
(二)医師の診察
 特別学級設置第一学年度に於て、京都帝大医学講師笠原道夫氏に成績不良児童の身体的検査を乞えり。検査せられたる人員は我校各学級の低能児劣等児合せて約五十名にして其中診断せられたるもの十九名あり。左に其結果を掲げ且是等異状児の特徴を附記せんとす。
 〇 尋常第四学年 男某(痴愚)
 殆ど白痴に近き精神薄弱者にして『鋭敏性痴愚』なり。鋭敏性は遅鈍性に対する名称にして此児童は感情の発現すること病的に亢進し行為粗暴にして意志常に動揺す。一旦怒るときは父母教師の命にも従わず相手に対して危害を加うることあり。喜ぶときは不定的の跳躍をなして駆け廻り常に沈静の状態のあることなく教室にありても気の向き次第坐席を離れ学友の頭を叩くなど殆ど精神に統一なきが如し。昨年六七月の頃にいたり、病的状態益々増進せるを以て家庭に注意を与え目下欠席静養中なり。
 × 高等第二学年 女某(痴愚)
 『先天性小頭症痴愚』にして学籍は高等第二学年に在るが実際の学力は尋常第二三学年に足らざる程の精神薄弱者にして前学年末に退学せり。
 〇 尋常第四学年 男某(H)(魯鈍及遺尿症)
 魯鈍の著しき特徴は判断力の欠損にあり。此児童は言語障碍中の陶語に属し屬を有す。小話を聞かしめ或は読本を教えてもその要点を捕捉すること能わず自我心強く自恣にして甚だ頑固なり。
 〇 尋常第二学年 男某(先天性精神薄弱)
 × 同 第三学年 男某(同)
 × 同 第五学年 女某(同)
右三名共痴愚なるか魯鈍なるか未だその区別明瞭ならざるがため概括的の名称を附したるものなり。而して此三名は兄弟にしてその原因と認むべきものは両親が従兄妹の関係なるが故血族結婚より来たりしものならん。
 〇 尋常第三学年 女某(D)(痴愚第一度)
此児童の変質症候は多毛、耳翼奇形、紅彩膜欠損等なり。幼時甚だ虚弱にして五才迄歩むこと能わざりしという。
 〇 尋常第四学年 女某(K)(脳膜炎後の精神薄弱)
脳膜炎は児童をして後天的に精神を薄弱ならしむる最も恐るべき疾患にして治療後といえども或は聴神視神の障碍又は智識の異常を後す。此児童は生後約半年にして誤りて乳母車より落ち頭部を激しく打傷したる結果所謂外傷によれる急性の脳膜炎をおこしたために全くの低能状態となりたるものなるべし。総ての運動甚だ緩慢にして調和的運動全く不可能なり。殊に床上歩行の際足蹠を平に運び一種甚だ不快なる音を出す。又精神的方面にありては理解力想像力殆ど欠損せるかと思わるゝ程なり。
 〇 尋常第四学年 女某(C)(痴愚第二度)
三才のとき感冒に罹りその後激しき脳膜炎に変じその結果顔面稍々左方に廻転す。運動の緩慢なる状態は前者と殆ど同様なり。精神方面に於ては想像力及思考作用に著しき欠陥を有す。
 〇 尋常第四学年 女某(J)(痴愚第一度)
二才の時前者と同様の原因により精神薄弱となりたるものなり。又幼にして両親に離れ悖徳の継祖母の手に養われ家族の虐待を受け全家族挙て阿呆と称し人為的にも低能ならしめたるが如き形迹あり。特別取扱の実験より察するときは精神薄弱の度著しく高からず学業の進歩も良好なる一人なり。唯性行上に歪の見ゆるは平素虐待の結果ならんか。
 〇 尋常第五学年 男某(L)(慢性脳水腫)
慢性脳水腫とは俗に水頭或は福助頭と称するものにして智識の異常をなすこと屡々ある疾患の一なり。此児童は前頭部著しく拡大し一見脳水腫なることを知る。且つ顔面の表情少く両眼の距離遠く眼に光なく眼球常に定まらず、口を開き茫然たる顔貌は著しく普通の児童と異れり。反応甚だ緩慢にして想像力思考力弱く応用的の問題は簡単なるものと雖も正当に答うること困難なり。なお難聴にして時々頭痛を催しその際は一層聴えずという。
 〇 尋常第二学年 男某(U)(同上、痴愚第二度)
 〇 同 第一学年 男某(同上)
 × 同 第五学年 女某(先天性遅発微毒及てんかん)
 × 同 第一学年 男某(てんかん症) 
 × 同 第三学年 男某(難聴)
 〇 同 第五学年 男某(N)(吃訥)
学令児童の吃訥は多く模倣性に来るもの多し或は智識の異常を伴い又は知識に異常なし後者は予後良なるものなり。吃訥児は自己の言語障碍を憂慮し精神に変質を生じ或は沈欝となるが故に家庭及学校に於ては此点に注意し未発達に之を防がざるべからず教育上より吃訥を分類するときは
第一度の吃訥
最も軽きものにして気の張る場合にのみ訥るものなり。されは唱歌のとき或は平常の話のとき及模倣発言等の際には訥らざるものなり。
第二度の吃訥
気の張るときは勿論心易き人との会話にも訥るものなり。されど歌唱のとき或は他児童と合唱するときには訥らず。
第三度の吃訥
周囲に人なく一人にて話すときにも訥るもの。
第四度の吃訥
第三度の吃訥に加うるに精神の変質を伴うもの併し児童の訥は精神の変質を伴うこと少なければ第四度の吃訥は小学児童には少し。
この児童は第三度の吃訥にして幼少の頃近隣に訥る人あり言語の発達期に於てその人に近接せしめたる結果即ち模倣に原因せるものにして本を読み或は談話せんとするも容易に発声すること能わず声帯の痙攣する状態頗る明瞭にして甚だしきときは顔面の筋肉も発音の際共同性に運動することあり。なお此児童は身体の活力も極めて弱く甚しく 痩し年令十三才なるも体量約六貫匁殆ど八九才の児童と伯仲の間にあり。挙動不活発にして自己の意志によりて身体を自由に動かすこと能わず体操は勿論競争、角力の如き遊戯に於ても其動作の緩慢にして無気力なること著しく低能者の特徴を現わせり。精神上に於ては注意状態甚だ不良なると思考力の欠乏させるとはその最も著しきものなり。
 〇 尋常第三学年 女某(E)(吃訥)
第二度の吃訥にして前者に比すれば稍々軽き方なるもなお読書の際その第一声を発するに困み全身に力を入れ手指を以て強く本を抑えつけ辛うじて発声するが如き状態なり。身体の方面には殆ど異常なきも往々精神の統一を欠けるが如き挙動をなすことあり。
 〇 尋常第四学年 男某(F)(先天性精神低格)
精神低格児とは性格に異常ある児童にして精神病児と普通健康児との中間に位するものなり。精神低格児に見る障碍は智識の部分よりも意志感情の方面にあり。されば此児童の表す性格は多様にして一概に言い難きもすべて精神低格児に共通なる点は次の如きことなり。
1.精神機能の発育不規則なること。
2.病的感情亢奮すること。
3.病的推感性の亢奮(他人より暗示せらるゝ性質)
4.或刺激に対して不自然の反応、或は弱き刺激に対して強き反応あるもの)
精神低格児の原因は遺伝(先天性)及急性伝染病の経過中或は経過後来るものなり。此児童の父は種々の事実より綜合すれば、道徳上の欠陥を有する精神低格者なるものゝ如し、故に此児童は先天的の原因を有する精神低格児なることは蓋し誤なからん。而して精神低格児の分類によりて考察すれば懶惰性に属するものゝ如し、其特異なる標徴を挙ぐれば観念の一部分抑制せられ、感情鈍痲し賞讃につきては多少の反応あるも叱責につきては殆ど無感覚の状態なり。その行為に於ても意識せざる場合あり嘗て教師に引率せられ同級生と共に遠足したる際漂然として列を脱し其所在不明となり心配せしめたることあり。又意志及行為の鈍痲により背徳の行為をなすこと多く、或時過って二階教室の硝子窓を地上に落し之を粉砕したることあり、此児童の行為なることを目撃し之を証明するものあるにも拘わらず自分の少しも知らざる所なりとて飽迄も強情を張り翌日に至り突然自己の所為なることを自白したることあり。又或時は雨天に傘をもさゝず跣足となり懐中に菓子を入れ之を喰いつゝ人通りの多い大道を平然濶歩するなど著く悖徳性を発揮し教育の如何によりては純粋の不良少年となる恐あり。智識の方面はその欠陥少く普通の児童と大差なき程度にあり。此児童の性格の矯正につきては少からず苦心しつゝある所なり。然れども前に述べたるが如く家族の不良なる為両親と共同して矯正すること難く学校に於ては絶えず注意しつゝあるも家庭生活に於て破壊せらるゝこと甚だ多し。此児童にとりては叱責或は体罰に類することは有毒なること明なるを以て名誉心の培養に努力し賞讃或は賞輿等を利用し稍々良好の成績を挙げつゝあり。なお懶惰性の根本的異常の矯正は之を後にし枝葉の部分より漸次に矯正し遂に根本に及ぶの方針を採りつゝあり。
以上掲げたる学年、児童名の上に〇印を附したるは特別学級に収容せるものにして×印を附したる学年或は人員の関係上収容せざるものなり。なお此外に特別学級に収容せる若干名あれども病的原因不明の者もある故是等の児童に関する説明は之を省畧することとせり。
(三)知能検査
   別冊
(四)学習程度の調査
特別学級収容児童候補者に対し、読方及算術科につき尋常第一学年程度より尋常第五学年程度にいたる両科目の基本的教材中より問題を選定し、筆記或は口述によりて、各個人につき詳細の調査をなし、以て個人の学力程度を定めその著しき欠陥を知ることを得たり。左に当時調査したる結果の摘要を二三の個人につきて示さんとす。収容児童の全般につきては後章に掲ぐる個人進度表に示したるを以て之を省畧す。
 尋常第三学年 男某(劣等児)
 読方、尋三程度
学年相当の本は十分理解し居らざるも、兎に角之を読み且つ筆写も相当に為し能う。但し平仮名は忘れたるもの多く拗音は書くことを得ず。仮名の練習と平行して学年相当の本より教授す。
 算術科 (尋二程度)
多少の誤りあるも第一学年の程度の計算は理解し居るものの如し、基本教材の練習と平行して第二学年の初歩より教授せん。
 尋常第三学年 女某(D)(痴愚第一度)
 読方、尋三程度
機会的の読方は頗る巧妙にして音誦をもなす併し内容の理解は十分ならざるもの多し記述も読方と伴うず甚だ不完全にして拗音の交れる片仮名の綴方も不十分なり。平仮名は未だ十分記憶して居らず、既授漢字の記憶も頗る朦朧たり。両体仮名の練習と平行して学年相当の読本を教授す。
 算術科 尋一程度
加法は第一二学年程度中基数及二位数に基数を加うるもの及九以下の掛算(九九の呼声のみによるもの)は機会的になし得るもそれ以上は全く不可能なり、故に第一学年の初歩より出発しその基礎を固めつゝ進むを可なりと認む。
 尋常第四学年 男某(F)(先天性精神低格)
 読方 尋四程度
片仮名平仮名の混用及綴りの誤多し雖ども三学年程度の記述は可なり、第四学年程度の読本を使用するを相当と認む。
 算術科 尋二程度
尋常第二学年程度の加減は稍々可なれども繰り上る二位数の加法に於て既に不完全なり第二学年の初歩よりする方適当なるべし。
 尋常第五学年 男某(N)(強度の吃訥)
読方 尋五程度
平仮名の記憶不完全にしてその記述に於ても読み得ざるもの多し、購読力甚だ弱く到底第五学年の本を読み得ざるべきも同級児童との関係上及本人の希望とにより暫く学年相当の読本を教授しその実力を試さん。
算術科 尋三程度
二位数を減づること(上位より借る場合)100以上の記数法、乗算九々、二つ以上繰り上る乗法及除法運算、諸等数の取扱等に不完全の点多し。

第七章 取扱方法
一、一般的
(一)成績不良の原因に同情し常に熱誠ある温情を以て接すること
教育者は其天職に対して献身的の精神を有し且つ児童に対し熱烈なる愛情を有せざるべからずは勿論なり、然れどもここに成績不良児取扱に関し特に教育者に要求すべきものあり。そは是等児童に対する慈愛的同情是なり。世人動もすれば物資上の貧弱者に対しては相当の同情を有するも精神上の貧弱者に対しては同情するもの少なく却て之を蔑視する傾向あるは人道上より見ても甚だ遺憾の事なりとす。成績の不良なる児童は普通の児童とその発達を同じくすること能わざる憫むべき児童にして、その原因は祖先或は父母にあるか、或は学校或は教師若しくは社会にありて児童には何等の責むべきものあるなし。故に教育者はその原因を探り満腔の同情を表し常に其心を以て心となし、普通の児童に於けるよりもさらに一層熱誠ある温情を以て彼等に接せざるべからず。普通の児童が容易に理解し、記憶したることも、二回三回或は四回五回之を教うるもなお理解せず、辛うじて理解し記憶せることも翌日は全く忘却し、更に再び教えざるべからずるに至りては何人と雖ども不愉快を感ぜざるべからず。然れどもかかる場合に於て児童を叱るとも何等の益なく却って叱れるがために児童の感情を亢奮せしめ一層知的作用を鈍くするのみなれば、常に自己の心情を平静にし且つ強き忍耐によりて彼等を救済するの道を講ぜざるべからず。
(二)、個人指導を本体として分団的に取扱うこと
成績劣等の原因に於ても又児童の個人性においても著しき差異あるが故に個人的特殊授業を本体とし教師の教授力の及ぶ限り個人の指導をなすは最も効果ある方法なれども一回の授業人員六七名を超えるときは勢い之を組に分ち分団的の取扱法によらざるべからずに至る。当学級に於ても前既に述べたるが如く分団組織となし各分団を共同的に教授したるもなお児童個人の能力の差によりてその進度を異にするに至れり。然れども読方に於ては三分団、算術に於ては五分団以上に拡張するときはその取扱に甚だしき困難を感ずるのみならず之がため各分団に対する直接教授の時間を減じ従って全体に対する教授力を減殺せらるるを以て、その分団に属するものにして著しき能力の差異なき限りは多少個人に対しては不利益なりとも之を忍び成るべく分団の数を増加することを避け読方に於ても算術に於ても比較的能力の高きものは練習的方面の取扱を拡張する方針を取るを最良の方法なりと信ず。
(三)教材の範囲を狭くし徹底せる知能を授くること。
精神の薄弱なる児童が或る知識技能を収得するに要する時間と普通児の要する時間を比較するときは、その間に甚だしき軒輊あるを知らん。精神の薄弱なる児童は独り収得に多くの時間を要するのみならず之を発表するにも迅速なること能はず。殊に算術の計算に於てその著しきを知ることを得、故に計算の遅速によりて精神薄弱児たるか否かを知ることを得という学者さえあるに至れり。かかるが故に普通児と同範囲の教材を同じ時間に授けんとすれば、勢い半知半解に終らしめ活用することを得るが如き練達せる知能を得しむること能わざるは明白なることなり。然るに現今の所謂劣等児救済なるものは此点に留意すること少なく従って良好なる成績を挙ぐること能わず徒に困難を叫び救済を難を嗟嘆しつつある状態なり、真に是等劣等児を救済せんとせば普通児に要求要求する教材よりも其範囲を狭め而して一旦予定したる教材は時間の束縛を避け全然徹底せざれば止まざるの覚悟を以て教授し、その授けたることは必ず活用し得る迄に練達せしめざるべからず。又必要に応じてはその程度をも低下し、児童の能力に適合する教材を授けざるべからず。然るに現行の国定教科書は其程度に於て其範囲に於て、普通一般の児童に対してもなお其要求過大なるの感なきに非ず。故に精神の薄弱なる成績劣等児をして現行の教科書によらしめんとせば、勢い教材の取捨選択を行わざるべからず。而して其如何なる程度如何なる範囲迄取捨すべきかは今後大に研究を要する当面の問題なりとす。
(四)反復練習の必要
正確なる知能を得しめんとせば、自然練習に重きを置かざるべからず。併しながら同教材にのみ停滞して練習を継続するときは倦厭を来す恐れあるを以て適良なる練習の方法を考案せざるべからず。一教材を授け徹底せざれば他の教材に移らざるは勿論なれども、一旦収得したるものも、記憶の弱きがために忘却することの速なるは精神薄弱児一般の特徴特徴なり、故に其忘却することを防がんがために読本に於ては二週或は三週毎に前に立ち返り、読方及意義の大要を復習し、算術に於ては同一教材を数時間反復覆練習する方法をとり、その効果の良好なるを認めたり。又算術に於てあ加減乗の九々、読方にありては両体仮名、漢字、主要の語句等は絶えず之を練習せしめたり。
(五)学習の奨励法
成効の興味を感ぜしむる一方法として、毎教授時間の終りに於て各自の成績物(練習帳)に対し、各個人に徴号或は短評を附して与うることとせり。児童は之に対して著しき興味を感じ、且つ相互に競争心を起し、その結果算術に於ては計算を正確にし、数字の書き方を整頓し、読方にありては、誤字脱字を少からしめ、文字の書き方を正確にし、練習帳の取扱を丁寧ならしめたり。
(六)精神の集中
注意は心意作用の根本的活動にして、吾人が事物お知覚するも、記憶するも、想像するも、悉く注意活動に待つ所なかるべからず。然るに精神薄弱児の欠点とする処は、多くは此注意作用微弱なるか、或は散漫にして集中せざるか或は持続せざるかにあり。故に是等の欠点を補わんがためには注意練習の法則によりて練習せざるべからず。左に之を述べん。
 1.刺激の大小強弱
精神の薄弱なる児童は、概して能力遅鈍なるが故に、大なる刺激或は強き刺激を与えざれば注意活動を起さざるを普通とす。故に読方に於て文字の書き方を教授する場合或は算術の運算形式を教うる場合等の如き普通の児童に示すよりも、一層大書して教授するを有効とす。又事物を説明する場合に於ける教師の言語も強く且つ大にすることを必要とす。その練習方法として塗板上に示す文字及教師の教授する言語、児童に使用せしむる言語等についき、常に相当の注意をなしたるのみならず、なお一の方法として、教室内の一隅(全体の児童を視るに都合よき場所)に特別の教卓を設け、直接教授をなす場合には、児童をその周囲に立たしめ、教師と児童と成るべく接近して教授するの方法をとり、児童の注意を喚起するに更ならしめたり。此方法は独り刺激を与ううる必要上より考察したるものにあらず、教師教師と児童と相接近して教授することは他になお深き意味の存するを認めたるによる。
 2.興味の喚起、期待、変化
是等は主として教授の方法に関することなれば、玄に詳説することを省略するも、普通一般の児童を取扱う場合よりも一層の工夫考案によりて、その条件に適合せしめんことを努めざるべからず。
以上は注意作用中の無意的注意の喚起に対する条件を述べたるが、なお此外に有意的注意の練習を必要ないとす。その練習方法としては授業時の初に当り一定時間沈黙せしめ或は物を指定して之を凝視せしめたり。なお前に述べたる特別の教卓前に集めて教授することによりて有意的注意の喚起及持続の練習をなしたり。
現在の児童を特別学級に収容したる当初に於てはその注意状態の散漫なること実に驚くべきものあり。斯る状態の者によく学習せしめ得るや否やを疑わしめたる程なりき。蓋し其原因は種々あるべきも、従来の教育は是等児童の能力に適合せざりしがため児童には学習に対する興味なく之を度外視したる結果、児童は漸次不注意の状態に陥り、斯くて多くは五ヶ年少くとも二ヶ年間その状態を継続し来りしは其主原因となすべし。当学級編制以来前述したる悪習慣を矯め、相当の学習的態度をとらしむる迄に至りし苦心は多大なるものありき。而して教卓前の集合教授は此悪習慣を矯正する上に於ても最も有効なりしことを信ず。
 二、国語(読方)科の教授
(一)教材
1.学年相当の教科書によれる効果
原学級復帰制を予期せし結果、劣等児に対しては、該学年相当の教材によりて教授することを本体とし、特別なる児童に対しては其学力程度に適応する教科書によりて教授することとせり。即ち人員及組分の章に於て表示せるが如き分団となし劣等児に対しては、概ね学年相当の読本を持たしめたり。而して甲組の第二分団に属し、同組の第三分団と殆ど同等の学力を有する第四学年の一児童には、特に第三学年用の読本を持たしめ、比較研究をなせり。学年末に於ける成績によれば学年相当の本によれる分団中の甲組第三分団(第四学年の教科書を持たしめたるもの)乙組第三分団(第五学年の教科書を持たしめたるもの)の成績最も不良にして学年より程度の低き本によりて教授したる各分団の成績は一般に良好なり。蓋し第四学年の教科書は第三学年の教科書に比し、稍々急激に程度を高められたるの感あり。殊に第五学年用に至りては一層甚しく且つ第五学年の教授時間は一週五時間なるを以て益々困難となり文語文の如きは多大の労力と長き時間を要したるにも拘わらず甚だ不結果に終れり。当学級に収容したる程度の劣等児にありては、普通児と同程度同分量の教材を同じ時間内に教授することは仮令特別の方法いよるも殆ど不可能の事にして是等児童は普通以外の系統によりて進むましめ、読本の如きも学力程度相応の巻より漸次に進め一旦教授したることは必ず之を徹底せしめ低き程度なりとも之を活用し得るに至らしむるを以て効果多しとす。
2.教科書の取扱程度
教科書の取扱程度は教科書を読み、その意味の大要を了解し、主要なる文字語句を書き得るに至るを以て満足することとせり。
3.教材の削除
前項に述べたるが如く、現行の教科書は精神の薄弱なる児童にとりては、其程度高く且つ分量多きが故、之を使用せんとせば、一定年限内に全部を授くること能はず、勢或る巻迄授け高学年用を省くか、或は全教科書の教材中より比較的適切ならざるものを削除するかの両途に出づより外なし。当学級に於ては第三学年迄はその学年に相当する教科書全部を授け、第四学年第五学年には或る教材を全く削除し、或は其取扱程度に於て前項に述べたる要求よりも一層その範囲を狭くし、唯内容の説話だけに止めたり。教材を削るときは形式上の連絡に故障を来す恐れあれども、そは主として漢字の取扱に於て困難を感ずるのみなり。故に削りたる課に存する新出或は読替の漢字にかんして其以後の課に現れたるn甚だしき不都合を感ずることなかりき。今こそ削除したる課及取扱の範囲を異にせる教材を教科書につきて示さん。 表(第十二号 十七頁)
以上の中全然削りたる教材は主として韻文にして、内容の教授のみに止めたるものは主に歴史的教材の文語文にして読解上甚だ困難なるものなり。教科書中の教材を取捨するにつきては慎重なる配慮を要すべきは勿論出来得る限り之を為さざるを可なりとすれども、第五学年にありては、前述したる削除を行いしも尚一箇年間に巻十第七課迄進みたるに止まれり。故に現行教科書は劣等児以下に使用せしむるには其程度に於ても其分量に於ても不適当なりといわざるべからず。将来是等の児童に使用せしむるに適当なる教科書を特に編纂する必要あるべし。
(二)取扱法
1.発音矯正
精神の薄弱なる児童は、一般に言語障害多く、前に述べたる吃訥二名の外発音の不明なるもの八名合計十名あるを以て、特別学級設置当初の収容人員二十二名に比例するときは、百分の四十五強の多数を示せり。五十音のラ行ダ行は最も不明にして、収容当時ラ行を完全に発音したるもの僅五名にして他は殆ど全部ラ行をダ行若くはザ行に、混同し何れの行を発音し居るや判断すること能わざるものさえありき(此地方に於ける訛音なり)之を矯正せんがため読方の授業時間の最初に当り毎時間約三分間に形練習と五十音及濁音及半濁音の発音練習をなし現在迄之を継続練習し来りしに、その結果現今においては一般に発音正確となり、前に述べたる三行の混同をも除去することを得るに至れり。今一例として読本巻一に現われたる語句中、発音を誤れるものを示せば左の如し。
 ガダガサ(カラカサ) サダ(サラ) ニギジメシ(ニギリメシ) セビ(セミ) シドヌノ(シロヌノ) キデイ(キレイ) トリゲ(トリイ)(発音上の誤りというよりも方言より来しものならんか) うしまかる(うしわかまる)(言いまわしの誤りか) アチダ(アチラ) トラデテ(トラレテ)
2.基本教材の練習
五十音片仮名、平仮名、拗音、促音、転呼音等は読方及書方を絶えず練習せしめ主要なる漢字は尋常第三学年以下にありては多くは教科書により、四学年以下は各自の漢字帳(新出漢字を教えたる際振仮名をなさしめ、必要に応じては意義をも記入せしめたる帳)によりて時々反覆練習をせしめて、記憶を確固ならしめ且つ之を活用せしめんことを努めたり。
3.模唱によりて読方を授くること
各種の感覚を働かしめて教授したる事項はその記憶確実なりという原理を適応し、教師の範読を唯傾聴せしむるに止らず、一語或は一句毎に模唱せしむる方法をとれり。現教科書の句読点の距離は、普通の児童にありても尚稍々長き感あるが故に、教科書の句読通り範唱する時は、多くは之を模唱すること能わずして途中にて切るか或は句の前の方を唱うることを忘れ後の方のみを唱うるを以て、初めは教科書よりも短く句切りて模唱し一回二回と回を重ねる毎に漸次教科書に近からしむるが如く範読して之を模唱せしめ斬して三回若くは四回連続するときは、比較的教材の困難なる所にても一通り之を読むことを得るに至れり。
4.分節を多くし理解的読方に習熟せしむること
普通の児童に教授するよりも一単元を少く取るを便なりとす。殊に文語文に至りては、其読解に甚しく困難を感ずるものと見え、児童は少しづつ教えられたしとの希望を述ぶること屡々ありき。読方は児童の発達程度によりて全然理解的読方のみを強いること能わざれども、精神薄弱児にありては、一般に何時迄も機械的の読方を脱すること能わざるが故に此点に留意し漸次理解的に読ましめんことを努めたり。
5.一節或は一文段毎に必ず意義の大要を捕捉せしむること
読書力の増進を図らんとせば、多少内容に類化すること能わざる個所あり、又難解の語句ありとも、全節を通読してその意義の大要を把捉せしむるを最も必要なりとす。此要求は独り普通以上の児童に対してのみ必要なるにあらずして、精神の薄弱なる児童に対しても同じ。されど精神の薄弱なる児童は、一般に概括の力甚だ薄弱なれば、教授上此点に注意し、適当の暗示を与えて文章の要点を捕捉せしめ、漸次自ら発見するに至らしめんことを努めたり。
6.断片的話方より漸次連続的話方に導くこと
成績不良児の談話は頗る断片的にして稍々複雑なることは之を話さんとするも全く要領を得ず。聴者は唯前後の関係により之を推測して其意を判断するを普通とす。児童はかかる状態にありては、日常生活の用をも弁ずること能はざるが故に、話方教授は、初は断片的なりとも漸次に前後に統一ある連続的話方に習熟せしむることをつとめざるべからず。その一方法として読方及意義を了解せる後、問答によりて個々の事実を断片的に答えしめ、更に二事項或は三事項を包括せる問を発し、それに対して誤りなく答ふる練習をなさしめたり。例えば、
問 指の名を知っていますか。 答 知っています。
問 一番太いのは。 答 親指といいます。
問 其の次のは。 答 人指指です。
問 一番太いのは何指で其次のは何といいますか。
答 一番太いのは親指で其次のは人指指といいます。
の如く漸次拡大して連続せしむるが如くせり。
7.視写或は視聴により多く書かしむること
筋肉活動によることは学習上有効なる多言を要せず。当学級読方教授において授けたることは、必ず児童に低声に読ましめつつ之を視写せしめ、文語文にありては更に其意義を記帳せしめ、或は黒板上に示したる語句を書取とらしめ、或は読本中の語句を聴写せしむる等、一時限内の約半を書くことの練習に費したりした、其結果収得したる知識を確実にせるは勿論、発表方面の進歩をも助け且つ書写の整頓したること及正確となりし点に於ては殆ど別の人の如き感を呈したり。是等の事実によりても、多く書かしむることの有効なるを知るべし。
8.文字の記憶
一般に記憶力薄弱にして、一旦教えたる文字も容易に記憶すること能わざるが故に屡々反覆練習せしむるを必要とす。而して忘るる文字は個人毎に異なり或児童は片仮名の「ヰ」「ヱ」を正確に記憶する為に約一学期を費やし或児童は「ヨ」「ロ」「レ」を完全に記憶するまでに約二学期を費やせり。漢字に於ても同様の例あり、児童が記述に際し、其文字を書かざるべからざる場合に遭遇すれば容易に再現せず為に甚だしき困難を感じたり。されば之を救済せんが為に両体仮名の五十音図を印刷して与え各自の忘るる文字に朱色の圏点を附せしめ、漢字につきては漢字帳若くは読本に之を附せしめ、或は機械的に或は活用的に各個人に指導を与え屡々練習せしめ、以て記憶せしむることに努めたり。

三.算術科
(一)教材
1.児童の学力に適応したる教材を配当すること
特別学級開始第一学年度における配当下の如し。
組 分団 所属学年及人員 配当教材
第一分団 第三学年 五名 第一学年程度
甲 第四学年 四名
第二分団 第三学年 一名 第二学年程度
組 第四学年 三名
第三分団 第四学年 一名 第三学年程度
第一分団 第五学年 二名 第四学年程度
乙 第二分団 第五学年 三名 第三学年程度
組 第三分団 第六学年 二名 第一学年及第二学年第一学期程度
第四分団 第六学年 一名 第一学年第一学期程度
2.教科書中の基礎的教材及重要教材には力を注ぎて確実に収得せしめ左程重要ならざる教材及困難なる教材は之を削除し、或は之を簡単に取扱うこと
教科書中より削除し或は之を簡単に取扱いたる教材下の如し
尋常第一学年算術書
(1)教科書中の所々に記載せられたる数の組成練習材料は之を省く
例 9=6+ 7=4+ 18=13+ の類
(2)教科書三十四頁 「二数ノ差ヲ求ムルコト」同前
(3)仝五十七頁 「倍スルコト」 仝五十八頁「幾倍ナルカヲ求ムルコト」
仝五十九頁 「等分スルコト」を省きて第二学年に譲る。
尋常第二学年算術書
 ○ 掛算の逆として積と被乗数とを知りて乗数を求むるもの(12=6× の類)
及び同積と乗数とを知りて被乗数を求むるもの(16= ×8の類)は簡単に取扱 う。
尋常第三学年算術書
(1)七十頁「筆筆乗法其の四」(二位の乗法)に於ては教材の性質上児童大に困難を感ず、且つ教科書の教材排列は易より難に及ばざるを以て教材を易より難に排列して課す。(2)応用問題中困難なるものは之を省く。
尋常第四学年算術書
(1)括弧の入れる式問題中複雑なるものは之を省く。
 例 十二頁(5)の中の 72+{82+(15−7)−(31−28)} 
二十六頁(3)の中の 30×3−4×{27−(10−6)×5}−1
七十七頁(2)の中の 0.84×4×9÷36−{1−(0.3−0.08)×3}
(2)自三十二頁至六十一頁「諸等数」は日常生活に最も関係深き十進諸等数の里程、地 積、時間等は単位時間の関係を知らしむる程度に止む。問題の練習は之を省く。
尋常第六学年算術書
(1)自一頁至三十一頁「分数」に関する教材は分数の観念を与うる程度に止む。
(2)自三十二頁至六十一頁「歩合算」は、児童の程度に応じて実質上の智識を与えるこ とを主とし計算は極めて簡単なものを課す。
(3)六十二頁以下「総練習」に於ては、教科書より離れ既教授各学年教科書中の重要教 材につきて復習整頓をなす。
(4)五六学年の珠算は普通の加減を授け児童将来の生活を顧慮之に適切なる教材を選択 す。
(二)取扱方法
1.数の観念の基礎を与うること
数の観念の基礎確実ならざれば到底諸種の計算を了解せしむること難し。劣等児の多くは此数観念養成期間において注意不足のため後年に至る迄計算を了解せざるものなり。されば数の観念の確立せざる劣等児に対してはまず此点より教授を始むべし。従来低能児と呼ばれたりし児童にして特別学級に収容後進歩著しき児童あり。之全く従前の教育の欠陥なりと認む。
2.基礎的な教材は力を注ぎて十分に了解せしめ且つ絶えず之を練習せしむること
此事項は算術科に於ける劣等児の救済及び一般児童の算術科の成績を上進せしむる上に最も重要なることなれば比較的詳細に記することとせり。
(1)加法
イ.九々として絶えず練習すべきもの
ロ.基数相互の暗算加法 特に繰り上るもの
ハ.基数三個以上の暗算加法 此ロハは筆算加法が正確迅速に行わるれば筆算加法の運算も容易に行わるるものなり。
ニ.筆算加法の運算形式及び其の方法を会得せしむること 尋常第三学年算術科八頁
就中桁の不揃いのものに注意を要す。劣等児の中には加法の時下位を揃えずして上位揃えるもの少なからず。
ホ.繰り上がる場合の計算においては下位より上位に繰り上がりたる数を忘れざること
(2)減法
イ.九々として絶えず練習すべきもの
ロ.二十以下の暗算減法 特に上位より借りるものに力を注ぐ。此二十以下の暗算減法(特に上位より借りるもの)の練習十分なれば、筆算減法の運算も容易に行わる。
ハ.筆算減法の運算形式及び其の方法を会得せしめること 尋常第三学年算術書二十頁
ニ.上位より借りて引く場合の計算に於て桁と桁との貸借上の関係を確実に理解せしめること
ホ.以後に於ては下に貸たるや否やを考えて計算せしめること 下に貸す計算を練習すれば劣等児中にはいつも貸たる様にして計算するものあり、されば特に此点に注意することを要す。
(3)乗法
イ.九々として絶えず練習すべきもの
ロ.基数相互の暗算乗法
ハ.乗法九々に基数を加うる暗算 此ロハは筆算乗法の基礎となるものにして其練習十分なれば筆算乗法も容易に行わるるものなり。
ニ.筆算乗法の運算形式及び方法を会得せしめること
乗数一位の場合 尋常第三学年算術書三十三頁
乗数二位の場合 同四十四頁
劣等児は部分積の排列及び部分積の和を求める計算を誤ることあり。
ホ.下位より上位に繰り上りたる数を忘れざること 劣等児は繰り上がりたる数を忘れて計算するがために生ずる誤り最も多し。故に繰り上がる数を点或は数字にて上位に記せしめるを可とす。
(4)除法
イ.乗算九々を逆に考える練習=商の発見練習 尋常第二学年除法教材及び尋常第三学年六十二頁暗算其の三
ロ.被乗数二位、乗数一位の暗算乗法 乗法と商とを乗ずる計算を正確ならしめるために必要なり。
ハ.二十以下の減法 乗数と商との積を引く計算を正確ならしめるために必要なり。
ニ.筆算除法の運算形式及び其の方法を会得せしめること
法一位の場合 尋常第三学年算術書六十三頁
法二位の場合 同七十頁
法二位の場合に於ては商の発見を困難とするものなれば次の如く平易に其の方法を指導すること効果あり。一位数は四捨五入し十位数にて割て商を見出す。
3.常に数字を明確に書かしむること
普通児にありても数字を不正確に書くがために計算上に誤りを生ずる場合甚だ多し、殊に劣等児にありて一層其然るを認む。数字を不正意確不明瞭に記す間は算術の年積挙がらざること明らかなり故に此点に留意し、特に時間の一部をとりて練習せしめ、又空時間の所置法として之を練習せしむ。
4.記数法に誤りなからしむる様注意すること
劣等児は中間に空位ある場合の記数法を最も誤るものなり。 例えば二十五万千九十三を25193又は251913となすものあり。
5.程度低き児童に対しては実物又は計数器を用いしめ次第に之を離れて計算せしめることとし、以後に於ても児童の程度を考え必要に応じて之を用いしむること
特に低能児に対して実物離るることを得ざるものは、日常生活の資となさんがため銀貨銅貨等を用いて計算をなさしむ。
6.運算形式の教授においては機械的練習に力を注ぎ且つ算法は多様にわたらずして可成一の方法によらしむること
例えば、尋常第四学年の教科書は、十進諸等数の計算に於て加法及減法は単位の名を順に並べて書き其下に各単位の数が縦に並ぶように重ねて書き然る後に計算せしめるようにし、乗除に於ては先づ単名数に直し、然る後に計算せしめる様になせるが、かかる場合は何れも各単位の名を順に並べて書かしめること実験上誤り少なし。
7.応用問題の教授に於ては卑近にして簡単なる形式の基礎問題を選び先ずよく之を理解せしめ然る後多くの類題を課して取扱うこと
8.此種の児童に対しては特に易より難に一歩一歩教授して妄に進歩を急がざること
9.常に個人の成績に注意し其進歩の状態に応じて適切なる取扱をなすこと
10.児童用書(場合によりては教師用書を与えうることあり)の使用になれしめ自働的になす善良なる習慣を養うこと
11.計算に対する興味を養うこと
計算に対する興味を養うには計算其のものに対する必要と努力の精神を養い且つ計算の合格に対する愉快の念を起さしめ教師は之に対して賞讃し行くこと必要なり。
12.鉛筆練習帳等の学用品の不揃いは計算の正確と迅速とを欠くのみならず之がために学習を厭うに至るものなれば此等の学用品に不自由なからしめる様注意すること


資料」

斉藤千栄治
小冊子「精薄児」(昭和32年)
“精薄児教育の体験”(昭和12年5月17日ラジオ放送)より
@P.17〜
・・・教育の実際についてお話しいたそうと存じます。私が明治45年から大正3年まで、奈良女子高等師範附属小学校に於て、精神薄弱児の特別学級を担任して居った際、其の学級の児童中Nという児童がありました。此児童は魯鈍級の児童であって、学年は普通学級の第五学年まで進んで居るのでありますが、実際の学力は二年程度の者でありました。よって教材の程度を二学年迄下げ、その基礎から築き上げてまいりました。自分で理解できることを教わるのですから、漸次学習に興味を持ち、たいそう熱心に稽古をはげむようになりました。算術の力も勿論弱いのでありますが、算盤の取扱に非常に興味をもっておりますので算盤を計数器の代わりに使用させ、それと同時に専ら珠算の加減を練習させました。速算も大分上達し、又簡単な乗除をも収得するようになりました。此子は、ある商店の長男でありますので、此子は将来の生活を考え専ら此算盤の方面に力を注ぎました。約二年半此児童を教育し、京都市に転任しましたがその後十数年を経て、奈良の或る知人の家で図らずも面会しましたが、その時は既に家業を継ぎ、商店の主人として一家を経営して居りました。私はこれを見て非常な喜びを感じました。
 次に同じ学級にSという男の子がありました。年令は十四歳で高等科第一学年に席を置いてあります。この子は痴愚であって、十四歳になっても片仮名五十音を機械的に辛うじて読み得る程度で、四・五の文字より書き得ません。勿論綴ることは出来ず、加え言語障碍もあって発音も甚だ不完全でありました。然るに一学年用の教科書を持たせようとすると「これは尋常一年の本であるから嫌だ」といって受付けません。そこで種々考慮の末、此の子には教科書を与えず、実物及身体につき片仮名及単語の綴り方を教えました。例えば児童の目に手をあてさせてメを教え、手を見せてテ頭をさわらせてアタマ、石ころによってイシ、木の葉の実物により或は口中の歯を指してハを教え、漸次に語句の綴り方に進みかくして三年半を費やしてやっと片仮名五十音を活用し、最も簡易な語句を文字によって発表することを得る迄にこぎつけました。これ迄には随分苦心いたしましたが、その苦心と努力は私の三十年間の教員生活中最も深刻な印象を残した一つであります。
AP.23〜
…国民教育と申しますと恰も正常児のみの教育のように考えて居るように思えてなりません。正常児も異常児も同じく国民であります。不幸にして先天的に或は后天的に異常になったのであります。子供には何等の罪も責任もありません。
佛陀は「一切衆生悉我子也」と申されました。此の心を以て児童に対する時、正常児も異常児も何等差別はない筈です。ヘレンケラー女子も此の間京都で申されました。「ハンデキャプを以て生まれてきた人々を平等に教育する社会を作って下さい」と呼ばれて居ります。私度も排常時に対して正常児と同様に熱愛し、不幸にも異常児をもっている親の心をくみ、異常児の精神に自己の精神を没入し、是等児童をして、例え弱き力なりとも、国家有用の人たらしむることは、我々教師の重大な責務でないでしょうか。
ペスタロッチー先生は
「我々は乞食を人間らしく生活せしむるために自ら乞食の如く生活せり。」と申されました。此の心を以て異常児教育に当ってこそ、我々は教師としての真の生命を見い出すことが出来るものと存じます。


資料、
斉藤千栄治 「手記」
@精神薄弱の分類に関する叙述
ウ(一)白痴
最も低格のもので智力の標準は稀に心的年令二年を超える程度である。欠陥の程度は危険を感知せず、言語も不十分に、又不完全ながら、普通の生理的機能に気がつくにすぎぬものとせられて居る。教育の可能性はない。
エ(二)痴愚
精神薄弱の中程度にあるもので、智力の標準は、心的年令三年から七年間に亙り、欠陥の程度は、危険を感知するを得、身体的機能に留意することを修得し、極めて簡単な仕事をなすことが出来る。しかし、読み又書くことの学習は不可能で、不断の監督なくしては働くことは出来ぬものとせられて居る。
オ(三)魯鈍
精神薄弱者の最上級のもので知的標準は八年から十二年近く迄の間に亙って居、其薄弱の程度は
(イ)或程度迄読み又書くことの学習が可能であるが、小学校四五年以上の学習に於て収得する所甚だ少い。
(ロ)随時監督の下に不熟練工のやる簡単な仕事を学習することが出来る。而して都合よき事情の下に自活をなすことを得るが先見の明なく変化する境遇に適応することは出来ぬ。
(ハ)行動につき一定の習慣を収得することは出来るが判断(常識)抽象的推論智見というものを欠いている人は此中へ入るのである。



資料に関する考察

1.資料氓ノついて
 これは、奈良女子高等師範学校編「奈良女子高等師範学校一覧」の各年度(二年度合併のものを若干含む)に於ける分冊よりの抜粋である。この分冊は、各年度の末頃に作られたものらしく、各学校の略史や職員名簿など沿革を知るのに都合のよいものである。

2.資料について
 これは、奈良女子高等附小の職員会の記録から「特別学級」及至「低能児劣等児教育」に関する事項、内容を、現在の奈良女子大学文学部附属小学校において特別許可されて抜粋して書写したものである。従って、抜粋の無い年度は、記録そのもののが無いのではなく、その事項に関する記録が無いことを示すものである。尚、記録は、「明治四十四年度起」「大正七年以降」「大正十一年以降」(大正十五年まで)等の如く各分冊になっている。

3.資料。について
 これは、昭和三十七年に、奈良女子大学文学部附属小学校によって同校の女高附小当時からの教育を歴史的にまとめた「我が校五十年の教育」(非売品、502ページ)からの抜粋である。この編集に於ては、同校に存在するあらゆる資料がもとにされたと考えられるので、かなりの客観性をもつものといえる。

4.資料「
 これは、現在の斎藤氏の子息の自宅から見い出されたもので斎藤千栄治氏の手による原稿約八十枚の手記である。書かれた年月日は明確ではないが、表紙に「奈良女子高等師範学校在職中の手記」と書かれ、その内容にも「特別学級」担任第一年度の実践が報告されているところから、大正元年の末から大正三年三月までのものと考えられる。尚、原稿は第四章、第六章、第七章のみであるが、その他の章については全くわからず、何のために書かれたものであるかも知ることが出来ない。

5.資料」
 これは、昭和三十二年発行のがり版刷りの小冊子「精薄児」の中からの抜粋である。更にこの抜粋の部分は、昭和十二年五月十七日にラジオで放送されたものである。

6.資料、
 これは、資料「と同じくして見い出された原稿である。資料「の中にとじられてはおらず書かれた目的、年月日は明らかではないが、使われている原稿用紙に[奈良女子師範学校]と印刷されているところから、斎藤氏が附小在職中のものであろうと推定できる。

                                 (以上資料集)


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